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押尾学事件についての考察 [法律]

事件の顛末

有名なので省略(笑

罪名:保護責任者遺棄致死

この事件、まず問題となるのは被告人が、「保護者」(保護責任者)であったかどうか、つまり、被害者を助けようとする作為義務があったかという点。
例えば、道端に死にかけた人がいたとして、通りがかりの人がそ知らぬ顔で通り過ぎたとしても保護責任者遺棄在に問われることはない。
なぜなら、その人を助けなければならない法的義務はなく「保護者」に当たらないからである。
では、おせっかいにも死にかけていた人に「だいじょうぶですか?」などと声をかけてしまった場合はどうだろう?
こうなると「保護者」にあたる可能性が出てくる。
声をかけたことによりその倒れていた人の「因果の経過を排他的に支配した」と言えるような状態になってしまうとここでいう「保護者」に当たると考えられてしまう。
もっとも、道端に倒れていた人に、通りがかりの人が「因果の経過を排他的に支配した」なんて考えにくいですが(笑
でも、例を挙げるなら「倒れていた人を病院に運ぼうと思って車に乗せた」みたいな場合には「排他的に支配した」といえるので「保護者」に該当するものと考えられる。

振り返って、押尾事件の場合どう考えるべきだろうか?
二人が他人ということを重視すれば「保護者」ではないと言う結論に達しやすい。
一方、その場に二人しかいなかったとか、他人といえどそれなりに親密な仲だったとか、死亡の原因が被告人の与えた薬であったなどの事柄を重視すれば「保護者」に当たるとの結論に達しやすい。

次に因果関係の問題。
つまり、「保護責任」を行使しなかったことで被害者が死亡したといえるかという点。
これについては有名な判例がありまして保護者が救命のための行為を行うことで「十中八九」救命の可能性があれば因果関係を認めるという。
だから、被告人が被害者の急変に気がついて、それから救急車を呼んでいれば「十中八九」助かったといえるなら因果関係を認めることができる。
この点は、検察側の立証内容次第ですね。

個人的には有罪まで茨の道のような気がするのですが・・・
今回は裁判員裁判なのですが、裁判官は裁判員に対し、今回書いた(これでもかなり砕けた内容で書いたつもり)「保護者としての意義」とか「作為義務」とか説明するんでしょうかね。
個人的にはそっちのほうが気になります。
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デルフィニウム

ファンの方には申し訳ないのですが
男らしゅうないの一言です。
by デルフィニウム (2010-09-05 19:16) 

まめ

個人的には双方自業自得のような気がしないでもないです。
by まめ (2010-09-05 20:22) 

しろうさぎ

法的な保護者、保護責任ってあるんですね。
うーん、いろいろ考えさせられます。

by しろうさぎ (2010-09-06 02:16) 

macky

人が死んで、自分で通報しないで、逃げちゃう。*_*トンズラ~
しっかりと半生を反省して貰いましょう。
by macky (2010-09-06 05:38) 

土芽

保護責任・・・色々と考えてしまいました。
by 土芽 (2010-09-06 20:45) 

大将

なんとも人としてどうなの?
男らしくない言動

ただ係わり合いになりたくない
そんな気持ちはわからなくなないですが
道端に倒れていて苦しんでいる人を見てみぬ振り
そういう社会は嫌ですね
法律がどうであっても
人としての道を歩きたいですね
by 大将 (2010-09-06 22:27) 

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